寄稿者:九州大学
《ニュース概要》
■ポイント
原発性サルコペニアと末期腎不全(ESRD)に関連する筋萎縮は異なるメカニズムを持つことが明らかになり、疾患特異的な治療法の開発が期待されます
メタボロミクスとプロテオミクスの統合解析により、尿素回路やカテコールアミンなどの代謝物、神経栄養因子受容体(CNTFR)などのタンパク質が疾患ごとに異なる役割を果たしていることが判明しました
本研究で特定されたバイオマーカーを活用することで、筋萎縮の進行度をより正確に評価し、患者ごとに最適な栄養療法や運動介入を設計することが可能となり、個別の病態やリスク因子に応じた精密な医療への転換が期待されます。
■概要
加齢に伴う「原発性サルコペニア」と「末期腎不全に関連する筋萎縮」は、それぞれ異なる病態でありながら、どちらも骨格筋量と筋力の低下を引き起こします。本研究では、これらの筋萎縮に関わる分子レベルの違いを明らかにするため、メタボロミクス(代謝物解析)およびプロテオミクス(タンパク質解析)を統合したマルチオミクス解析を実施しました。特定された代謝物やタンパク質は、新たなバイオマーカーとして活用できる可能性があり、早期診断や進行予測の精度向上が期待されます。また、個々の患者の代謝特性に基づいた栄養介入や薬物治療が可能になれば、より効果的な筋萎縮の予防および治療戦略の構築に貢献することが期待されます。
本研究は、九州大学病院検査部の瀬戸山大樹助教、韓国国立忠南大学の Yi Hyon-Seung 教授、ソウル大学の Dohyun Han 博士および Kwon Obin 博士の共同研究成果です。国際的な研究チームによる多面的なアプローチを通じて、異なる疾患群における筋萎縮のメカニズムを解明し、今後の治療法開発の基盤を築くことを目指しました。
本研究成果は、Journal of Cachexia, Sarcopenia and Muscle 誌に 2025 年 4 月 10 日(木)に掲載されました。
【研究の背景と経緯】
サルコペニアは加齢による筋肉量および筋力の低下が特徴であり、一方で末期腎不全に関連する筋萎縮は、尿毒症や透析などの影響によって引き起こされます。これらの筋萎縮の発症メカニズムは異なるにも関わらず、これまで詳細な比較研究は限られていました。本研究では、分子レベルでの違いを解析することで、それぞれの病態に特化した治療戦略を確立することを目的としました。
また、筋萎縮が患者の生活の質(QOL)や健康寿命に与える影響は大きく、高齢社会においてその対策が急務となっています。特に、透析患者では栄養状態の管理が困難であり、筋肉減少の進行を抑えるための新たな指標の確立が求められています。
本研究では、サルコペニア群 28 名(平均年齢 72.6±7.0 歳)、末期腎不全群 22 名(平均年齢 61.6±5.5歳)、および健常対照群 28 名(平均年齢 69.3±5.7 歳)を対象に、詳細な臨床データとマルチオミクスデータ(血漿プロテオミクスおよびメタボロミクス)を取得しました。筋肉量は生体電気インピーダンス法(BIA)を用いて測定し、握力および「5 回椅子立ち上がりテスト」による下肢筋力評価を行いました。サルコペニアの診断は、2019 年アジアサルコペニアワーキンググループ(AWGS)の基準に基づいて実施しました。
また、液体クロマトグラフィー・タンデム質量分析法(LC-MS/MS)を用いて、血漿中の 234 種類の代謝物と 722 種類のタンパク質を定量しました。これにより、疾患特異的な代謝物の変動やタンパク質の発現プロファイルを詳細に解析することが可能となりました。
【研究の内容と成果】
本研究の結果、サルコペニア群および末期腎不全群では、健常対照群と比較して筋肉量、握力、および下肢筋力が有意に低下していることが確認されました(図 1)。特に、末期腎不全群では透析による影響も相まって、より顕著な筋萎縮が見られることが判明しました。メタボロミクス解析では、末期腎不全群に特有の代謝物変化が明らかとなり、尿素回路、アミノ酸代謝、核酸代謝に関連する中間代謝物の関与が示唆されました(図 2)。特に、エピネフリン、ドーパミン、セロトニンといったカテコールアミンが末期腎不全群で有意に上昇していることが確認されました。これは、腎不全に伴うストレス応答の影響を示唆する重要な指標となります。
一方、プロテオミクス解析では、3 群間の違いがより明確に識別され、特に健常対照群とサルコペニア群の違いが顕著に表れました(図 3)。神経栄養因子受容体である「ciliary neurotrophic factor receptor(CNTFR)」が最も重要なバイオマーカーとして特定され、また、AHNAK タンパク質の血漿中レベルがサルコペニア群では高く、末期腎不全群では低いことが判明しました。さらに、プロテオミクスの経路解析では、サルコペニア群で「ヘモペキシン」や「防御反応」、「細胞分化」に関連する経路が活性化されていることが示されました。
マルチオミクス統合解析により、カテコールアミンを含む代謝物と、細胞外エクソソームに関連する一群のタンパク質との関連が明らかになりました。これらの知見は、今後のバイオマーカー開発や疾患特異的治療法の確立に向けた重要な手がかりとなります。
【今後の展開】
本研究により、末期腎不全およびサルコペニアにおける特徴的なマルチオミクスプロファイルが明らかになりました。特に、末期腎不全に関連する筋萎縮の分子メカニズムが、原発性サルコペニアとは異なることが示され、今後、それぞれの病態に応じた適切な介入法の開発が期待されます。これらの知見は、筋萎縮に対する個別化医療の実現に向けた重要な一歩となるでしょう。
また、本研究の成果は、栄養療法や運動介入といった既存のアプローチの有効性を高めるための新たな科学的基盤を提供する可能性があります。今後の研究では、長期的な臨床試験を通じて、実際の医療現場での応用可能性を探ることが求められます。
【論文情報】
掲載誌:
Journal of Cachexia Sarcopenia and Muscle
タイトル:
Comparative Analysis of Primary Sarcopenia and End-Stage Renal Disease–Related Muscle Wasting Using Multi-Omics Approaches
著者名:
Daiki Setoyama, Dohyun Han, Jingwen Tian, Ho Yeop Lee, Hyun Suk Shin, Ha Thi Nga, ThiLinh Nguyen, Ji Sun Moon, Hyo Ju Jang, Evonne Kim, Seong-Kyu Choe, Sang Hyeon Ju, Dae EunChoi, Obin Kwon, Hyon-Seung Yi. Journal of Cachexia, Sarcopenia, and Muscle
DOI:
10.1002/jcsm.13749
詳細はこちらから※参照元のサイトを開きます
https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/researches/view/1247
■メイン画像:研究参加者の血清化学パラメータ、筋肉量、筋力
A:本研究の対象となる被験者の概要(健康対象群 28 名、サルコペニア群 28 名、末期腎不全群 22 名)
B:血清中のヘモグロビン、アルブミン、クレアチニンの濃度
C:被験者の年齢、握力、5 回椅子立ち上がりテストの成績、骨格筋インデックス。データは平均値 ± 標準偏差として表記。 *P < 0.05、**P < 0.01。 ([B, C]: 一元配置分散分析(ANOVA)および Tukey の多重比較検定による統計解析)
■下図:健康対照群、サルコペニア群、末期腎不全群における血漿代謝物プロファイルの比較
A: 全被験者の血漿代謝データに対する部分最小 2 乗判別分析(PLS-DA)のスコアプロット。括弧内の数字は寄与率を示す。赤、緑、青のドットは、それぞれ健康対照群(n = 28)、サルコペニア群(n = 28)、末期腎不全群(n = 22)、を示す。
B: 健康対照群、サルコペニア群、末期腎不全群の間で有意に異なる血漿代謝データをヒートマップで可視化した
C: 健康対照群、サルコペニア群、末期腎不全群の間で異なる代謝物の VIP スコアプロット(変数重要度スコア)