寄稿者:慶應義塾大学
《ニュース概要》
慶應義塾大学大学院社会学研究科の井上弘登(修士課程 2 年)、山本瑞紀(修士課程 2 年)、山田航太(研究当時:大学院生、現・東京大学定量生命科学研究所・日本学術振興会特別研究員 PD)および慶應義塾大学文学部心理学専攻の玉井湧太(日本学術振興会特別研究員 PD)、林和子(日本学術振興会特別研究員 RPD)、松島俊太朗(研究当時:学部生)、兎田幸司准教授らの研究グループは、神経の情報伝達を調節する受容体の一種である mGluR2/3(※1)の働きを薬物で抑えると、マウスが砂糖水を待つときや摂取するときの舐め行動と、食物摂取量が減少することを明らかにしました。通常の運動量には有意な変化がなく、食べる・飲む行動の減少は、全般的な運動抑制だけでは説明しにくいことが分かりました。本研究は、食物などの「報酬」に向けて行動を起こす仕組みを理解する手がかりになります。研究成果は、9 月 16 日に国際学術誌TranslationalPsychiatry にオンライン掲載されました。
1.本研究のポイント
・mGluR2/3 を阻害する薬物 LY341495 により雄マウスの mGluR2/3 の働きを抑えたところ、砂糖水への舐め行動と食物摂取量が用量に応じて減少しました。
・通常の移動量やメスとの相互作用時の超音波発声には有意な変化がなく、複数の行動を比べることで薬物の作用の特徴を捉えました。
・l単純な瞳孔の大きさだけでなく、砂糖水が与えられるタイミングに向けた瞳孔変化にも影響があり、行動と生理反応の両面から報酬に関わる機能を調べました。
■画像解説
mGluR2/3 の働きを抑えると、マウスの砂糖水への舐め行動と食物摂取量が減少する。
2.研究背景
食べ物を待ち、手に入れ、食べるという行動には、空腹だけでなく、食べ物の価値や到来時刻を予測する脳の働きが関わります。こうした報酬に基づく行動の仕組みを知ることは、摂食や動機づけの変化を理解する上で重要です。グルタミン酸は神経細胞の間で情報を伝える物質で、mGluR2/3 はその放出などを調節する受容体です。学習や記憶との関連は知られていましたが、食物や他個体などへの反応をどのように調節するのかは、十分に分かっていませんでした。
3.研究内容・成果
研究グループは、成体の雄マウス(C57BL/6J)に LY341495 または生理食塩水を投与し、砂糖水への反応、通常の移動、摂食、他個体への選好、メスとの相互作用という 5 つの課題を組み合わせて評価しました。
・砂糖水を待つ・摂取する行動と瞳孔反応の変化
頭部を固定したマウスに 10 秒間隔で砂糖水を与える時間条件づけ課題(※2)では、砂糖水が出る前と出た直後の舐め行動が、薬物の用量に応じて減少しました。舐め行動の時間的なパターンは低用量ではおおむね保たれ、高用量では変化する可能性が示されました。また、瞳孔は全体として大きくなり、砂糖水が出る時刻に近づく際の瞳孔変化は弱まりました。
・食物摂取は減少する一方、すべての行動が一様に低下するわけではない
自由に動ける状態でも、絶食後 20 分間の食物摂取量は用量に応じて減少しました。一方、通常の運動量を測るオープンフィールド課題では、有意な変化は認められませんでした。また、メスとの相互作用時の超音波発声(※3)や接近にも、有意な変化は認められませんでした。発声がみられたことは、薬によって発声に必要な運動機能が一律に失われたわけではないことを示唆します。これらの結果から、食物摂取の減少を全般的な運動機能の低下だけで説明することは難しいと考えられます。
4.今後の展開
今後は、どの脳領域や受容体が行動変化に関わるのかを調べ、食物への動機づけ、空腹・渇き、満腹感、細かな運動の変化を切り分ける必要があります。本研究は雄マウスへの全身投与による結果であり、作用部位は特定していません。雌での検証も進めることで、摂食や報酬に基づく行動を調節する仕組みの理解につながることが期待されます。
■原論文情報
論文名: Systemic administration of the mGluR2/3 antagonist LY341495 disrupts reward-relatedbehaviors across ingestive and social domains in mice
著者: Hiroto Inoue, Mizuki Yamamoto, Yuta Tamai, Shuntaro Matsushima, Kota Yamada,Kazuko Hayashi, Koji Toda
掲載誌:Translational Psychiatry
掲載日:2026 年 9 月 16 日オンライン公開
DOI: 10.1038/s41398-026-04446-z
■用語説明
※1 mGluR2/3(代謝型グルタミン酸受容体 2・3)
神経伝達物質グルタミン酸の情報を受け取り、神経伝達物質の放出や細胞内の情報伝達を調節する受容体です。本研究では、両受容体の働きを阻害する薬物 LY341495 を用いました。
※2 時間条件づけ課題
音や光などの合図を示さず、一定の時間間隔で砂糖水などの報酬を与え、動物がその時刻を予測して示す行動や生理反応を調べる課題です。
※3 超音波発声
マウスが他個体との交流などの場面で発する、人には通常聞こえない高い周波数の音声です。
■研究費
本研究は、JSPS 科研費、慶應義塾学事振興資金、慶應義塾福澤基金、喫煙科学研究財団、ホクト生物科学振興財団の支援を受けて実施されました。










