京都大学
概要
京都大学ヒト行動進化研究所の打越万喜子研究員、服部裕子助教は、東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会特別研究員(現:立教大学現代心理学部/研究科・日本学術振興会)のユリラ研究員との共同研究により、小型類人猿テナガザルを対象としたアイ・トラッキング(視線計測)実験を実施し、顔をどのように見ているかを明らかにしました。大人のテナガザル 3 個体にテナガザルとヒトの顔写真を提示し、目・鼻・口などへの注視時間を分析した結果、テナガザルは顔の中でも目を最も長く見ており、特にヒトの目よりもテナガザルの目を長く注視することが確認されました。本研究は、音声コミュニケーションが発達したテナガザルでも目が重要な社会的情報源である可能性を示しています。霊長類における顔認知や社会性の進化を理解する手がかりとなることが期待されます。本研究成果は、2026 年 8 月 3 日に米国の国際学術誌「Animal Behavior and Cognition」にオンライン掲載されました。
1. 研究の背景
ヒトの心がどのように進化してきたのかを理解するためには、系統的に近縁な類人猿との比較研究が欠かせません。しかし、類人猿の中でもテナガザルは、これまで認知研究がほとんどおこなわれてきませんでした。
テナガザルは、ヒトや大型類人猿の系統から最も早く分岐した現生類人猿で、身体が比較的小柄であることから小型類人猿とよばれます。一雄一雌のペア型の小規模な群れで暮らすことや、歌と呼ばれる特徴的な音声コミュニケーションを持つことなど、大型類人猿とは異なる独自の社会生態をもっています。そのため、ヒトの心の進化を探るうえで重要な比較対象と考えられています。とくに、社会構造は社会的認知の進化と密接に関わると考えられていることから、テナガザルの社会的認知を明らかにすることは、ヒトを含む霊長類の認知進化の理解に大きく貢献すると期待されます。私たちは 2024 年に、初めてテナガザルを対象としてアイ・トラッキング(視線計測)を用いた認知研究が実施できることを確認し、成果を発表しました(Uchikoshi et al., 2024)。本研究では、その手法を用いて、社会的情報の中でも特に重要な「顔」をテナガザルがどのように見ているのかを調べました。
2. 研究の手法と成果
研究手法
京都大学ヒト行動進化研究所で飼育される成体のテナガザル 3 個体(ツヨシ、ラジャ、マミー)を対象に、アイ・トラッキング装置(Tobii TX300)を用いて顔写真を見ている際の視線を計測しました。実験は日常の生活場所でおこないました。モニターには、テナガザル 24 枚とヒト 24 枚、計 48 枚の顔写真を 3 秒間ずつ提示しました。顔写真はいずれも正面をむいたニュートラルな表情のものでした。目・鼻・口などの領域を設定して注視時間を解析しました。得られたデータから、顔の各部位への注視時間およびヒトの顔・テナガザルの顔に対する注視のパターンを比較・解析しました。
主な成果
1)テナガザルが顔写真を観察する際、目を最も長く注視することが明らかになりました。この特徴は、先行研究で報告されているヒト・大型類人猿・マカクザル類の注視パターンと一致しており、テナガザルがこれらの霊長類と共通する顔認知の特徴を備えている可能性を示します。一方で、目への注視の強さには個体差がみられ、顔情報を利用する方略には個体ごとの違いが存在することが示唆されました。
2)ヒトの顔とテナガザルの顔に対する注視パターンを比較した結果、テナガザルはヒトの目よりもテナガザルの目を長く注視することが明らかになりました。これは、テナガザルが同種から得られる社会的情報を優先的に処理している可能性を示唆するものです。対象となった個体は幼少期にヒトに育てられ、ヒトの顔にも日常的に接していましたが、それでも同種の目により強く注意を向けることが確認されました。
3.波及効果、今後の予定
本研究は、アイ・トラッキングがテナガザルの社会的認知を解明するための有効な研究手法であることを示しました。今後、テナガザルを含めた霊長類の比較認知科学研究のさらなる発展に貢献することが期待されます。対象個体数や対象種を増やすともに、さまざまな社会的刺激に対する視線反応を調べることで、テナガザルの社会的認知の特徴をさらに明らかにしたいです。さらにその先には、社会的認知にとどまらず、注意や記憶など幅広い認知機能へと対象を広げ、まだ多くの謎に包まれたテナガザルの心の理解を目指します。
4.研究プロジェクトについて
本研究は文部科学省科学研究費補助金(課題番号:JP20H04490、JP23K18478、JP21K02949、JP25K06669)の支援を受けておこなわれました。
<研究者のコメント>
テナガザルを対象とした認知研究では、テナガザル自身が「やってみたい」と思える方法を選ぶことが重要だと考えてきました。やりたくないときには、ぴょんっと跳ねて、その場を離れてしまいます。今回、対象とした 3 個体すべてが自発的にアイ・トラッキング実験に参加してくれました。初めてテナガザルの視線を正確に捉えた瞬間の喜びは、今でも忘れられません。本研究が、テナガザルの心のはたらきを理解する新たな扉になればと願っています。(打越万喜子)
<論文タイトルと著者>
タイトル:
Gibbons (Hylobates spp.) show increased attention to eyes when viewing conspecific faces: An eye-tracking study
(テナガザルは同種の顔の目をよく見ている― アイ・トラッキングを使用した研究)
著者:
Makiko Uchikoshi(ヒト行動進化研究所・公益財団法人日本モンキーセンター), Lira Yu(東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会), Yuko Hattori(ヒト行動進化研究所)
掲載誌:
Animal Behavior and Cognition , 2026, 13(3), 228-238.
https://www.animalbehaviorandcognition.org/article.php?id=1440
DOI:
https://doi.org/10.26451/abc.13.03.02.2026
<関連する先行論文のタイトルと著者>
タイトル:
Applying an eye tracking technique to gibbons: First study using scanpath measurements for visual stimuli.
(テナガザルにおけるアイ・トラッキング研究を実現 ― 視線軌跡の初測定に成功)
著者:
Makiko Uchikoshi(ヒト行動進化研究所), Lira Yu(東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会), Yuko Hattori(ヒト行動進化研究所)
掲載誌:
Behavioral Processes, 2024, 221
DOI:
10.1016/j.beproc.2024.105080










