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2026-04-27

クジラ肉の成分「バレニン」が神経変性を抑制 ―パーキンソン病の新たな予防戦略の可能性―

寄稿者:岩手大学

《ニュース概要》
■概要
岩手大学 農学部 生命科学科 分子生命医科学コースの尾﨑拓准教授の研究チームは、(一財)日本鯨類研究所との共同研究により、ヒゲクジラに豊富に含まれる機能性成分「バレニン」が、パーキンソン病モデルマウスにおいて神経細胞の変性を抑制し、症状の進行を軽減することを明らかにしました。

パーキンソン病は、震えや転倒、認知機能障害などを伴う神経変性疾患であり、65歳以上では約100人に1人が発症するとされる高齢化社会における重篤な疾患です。現在の治療法は主に症状を緩和する対症療法であり、神経変性そのものを抑制する治療法および予防法の確立が課題となっています。
本研究では、バレニンを点鼻投与することで脳へ直接送達し、ドパミン神経細胞の保護および炎症の抑制効果を確認しました。さらに、ミトコンドリア機能の維持に関わる新たな作用機序も示唆されました。
本研究成果は、Biochimica et Biophysica Actaに2026年4月17日付でオンライン掲載されました。

【ポイント】
・クジラ由来ジペプチド「バレニン」に神経細胞の保護作用を確認
・点鼻投与により脳へ直接送達
・ドパミン神経細胞の減少を抑制
・ミトコンドリア機能維持という新規作用機序を示唆

■研究成果【一般向け】
バレニンは、私たちが肉から摂取する成分の一種で、イミダゾールジペプチドと呼ばれている食肉中の機能性成分のひとつであり、クジラ肉に特に多く含まれることがわかっています。イミダゾールジペプチドは、機能性表示食品の成分として疲労感の軽減効果などが認められています。それに加えて、軽度認知機能障害(MCI)の改善効果などがあることが報告されており、アンチエイジング効果に着目されています。最近の研究により、バレニンはクジラ肉以外の食肉に含まれている他のイミダゾールジペプチドより人間の体内で安定性が高く分解されにくく、成分として体内で働きやすいことが明らかになってきました。つまり、人の場合、イミダゾールジペプチドの中でもバレニンが最も高い効果を示すことが期待できます。

そこで本研究では、バレニンが加齢に伴う疾患にも有効ではないかと考えました。注目したのは、高齢化に伴い患者数が増加する「パーキンソン病」です。この病気は体を動かしにくくなる疾患であり、その原因は、脳内でドパミンという重要な物質を産生する神経細胞が減少することにあります。ドパミンが不足すると、脳から体への指令がうまく伝わらなくなります。

パーキンソン病に類似した症状を示すマウスを用いて実験を行った結果、バレニンを投与したマウスでは、病気に伴う異常行動が減少することがわかりました。さらに脳を解析したところ、ドパミンを産生する神経細胞がバレニンによって保護されていることが明らかとなりました。

次に神経細胞におけるバレニンの保護効果のメカニズムを詳しく調べたところ、ミトコンドリア(細胞内で生命活動に必要なエネルギーを産生する器官)が関与することが示されました。バレニンは、機能が低下し働きが悪くなったミトコンドリアを壊して新しく作り直す仕組みを活性化させることがわかりました。これにより細胞はエネルギー産生能を維持し、結果としてパーキンソン病の症状が抑制されたと考えられます。

今後は、パーキンソン病に加え、他の神経変性疾患やアンチエイジングに関するバレニンの効果の検証を行うことにより、バレニンのもつ健康機能性を明らかにしていく予定です。

(図)本研究で示唆されたパーキンソン病態に対するバレニンの作用機序

■研究成果【専門家向け】
パーキンソン病は神経変性疾患の一種であり、ドパミン作動性ニューロンの変性に起因して運動機能障害や認知機能障害を引き起こします。現状では、ドパミン補充療法や脳深部刺激療法が主な治療法ですが、これらは疾患の進行そのものを抑制するものではありません。そのため、ドパミン作動性ニューロンの変性を抑制する新たな治療法および予防法の開発が求められています。

本研究では、イミダゾールジペプチドであるバレニンに着目しました。バレニンは、構造類似体であるカルノシンやアンセリンと比較して血中安定性が高く、さらに内在性抗酸化物質を上回る抗酸化能を示すことが報告されています。また、海洋哺乳類、特にクジラ肉に豊富に含まれる天然由来成分であり、安全性の観点からも有望と考えられます。

実験では、MPTP 誘導性パーキンソン病モデルマウスに対し、バレニンを 1 日 1回経鼻投与しました。その後、行動解析および脳組織を用いた組織学的・生化学的解析を実施しました。行動解析の結果、モデルマウスで認められた異常行動の増加がバレニン投与により有意に抑制されました。さらに、組織学的解析により、脳線条体におけるチロシンヒドロキシラーゼ(TH)の発現低下が抑制されることが確認されました。これらの結果から、バレニンがドパミン産生ニューロンを保護する可能性が示されました。

さらに作用機序の解明を目的として、マウス脳から抽出したタンパク質を用いたプロテオーム解析を実施しました。その結果、Neddylationに関連する経路の活性化が認められ、ミトコンドリアの品質管理機構への関与が示唆されました。したがって、バレニンの神経細胞保護作用の基盤には、ミトコンドリア機能の維持が関与している可能性が考えられます。

本研究により、パーキンソン病に対するバレニンの有効性が示されました。パーキンソン病は加齢に伴い発症率が増加する疾患であり、誰にでも発症しうる可能性があります。今後は、バレニンを有効濃度で人の脳へ送達する方法の確立が課題となりますが、本研究はその有用性を示す新たな知見を提供するものです。将来的には、パーキンソン病をはじめとする神経変性疾患の予防および進行抑制に資する新たな戦略としての応用が期待されます。

【今後の展開】
・人における有効性の検証
・投与方法・投与量の最適化
・他の神経変性疾患への応用展開

【掲載論文】
題目:Balenine alleviates neurodegeneration and inflammation in a mouse model of Parkinson’s disease
著者:
Yusaku Chukai (忠海 優作・日本学術振興会 特別研究員 PD)
Konatsu Arisumi(有住 小夏・岩手大学大学院 総合科学研究科 理工学専攻 2年)
Genta Yasunaga (安永 玄太・日本鯨類研究所)
Hiroki Sakai (酒井 大樹・日本鯨類研究所)
Yota Tatara (多田羅 洋太・弘前大学大学院 医学研究科)
Shuya Kasai (葛西 秋宅・弘前大学大学院 医学研究科)
Tetsuro Yamashita(山下 哲郎・岩手大学 農学部 生命科学科)
Eri Ishiyama (石山 絵里・岩手医科大学 医歯薬総合研究所)
Kokoro Kiyokawa(清川 心・岩手大学大学院 総合科学研究科 理工学専攻 1年)
Taku Ozaki (尾﨑 拓・岩手大学 農学部 生命科学科)

誌名:Biochimica et Biophysica Acta - General Subjects
公表日:2026年4月17日
リンク:https://doi.org/10.1016/j.bbagen.2026.130953

【用語解説】
・パーキンソン病
運動の信号を伝達するためのドパミンを作る神経細胞の機能が低下することに起因する難病。高齢者に多い。

・神経変性疾患
神経細胞の機能が低下することによって、さまざまな症状を呈する疾患の総称。パーキンソン病やアルツハイマー病などが分類される。

・バレニン
ヒゲクジラの肉に豊富に含まれる成分であり、2つのアミノ酸から構成されるジペプチドである。

・ミトコンドリア
細胞内に存在する小器官であり、酸素を利用して細胞内の主要なエネルギー産生を担う。細胞の生存に必須の役割を果たしている。

・Neddylation
タンパク質の機能調整機構の1つであり、NEDD8 がタンパク質に結合する。Parkin および PINK1 は NEDD8 が結合することで不良ミトコンドリアを分解する活性と安定性を増大する。