寄稿者:北海道大学
《ニュース概要》
■ポイント
・イヌの血管肉腫の新規培養細胞株2株と患者腫瘍異種移植モデル3株を樹立。
・グルコース欠乏下において、リジンラクチル化が遺伝子スイッチ付近へ集積することを発見。
・イヌ及びヒト血管肉腫の基礎研究の発展に期待。
■概要
北海道大学大学院獣医学研究院の青島圭佑講師、同大学大学院獣医学院博士課程の鈴木玲海氏らの研究グループは、イヌの血管肉腫の培養細胞株*1と患者腫瘍由来異種移植モデル(PDXモデル)*2を新規に樹立し、グルコース(糖)が乏しい環境下におけるリジンラクチル化*3の新たな働きを見出しました。
血管肉腫は犬に好発する悪性腫瘍であり、新たな治療法開発のために基礎研究の発展が必要ですが、研究に必要なモデルが限られていることが課題でした。本研究では、イヌの血管肉腫の新規培養細胞株二株とPDXモデル三株を樹立しました。これらのモデルは腫瘍本来の特徴を保持しており、血管肉腫の本質を理解する上で有用なモデルになることが期待されます。
樹立した研究モデルを用いて、血管肉腫と代謝の関連を調べました。腫瘍細胞はグルコースを主な栄養源とし、その代謝産物として乳酸*4を産生します。乳酸由来の化学修飾がタンパク質のリジン残基に付く「リジンラクチル化」は遺伝子発現*5の制御に関わることが知られています。本研究では、グルコースが乏しい環境を模した条件で、リジンラクチル化が全体としては減少する一方、遺伝子の「スイッチ付近(転写開始点付近)」へ集積し、グルコース欠乏に応答する遺伝子群の制御に関連することを示しました。さらに、その制御にATF4*6と呼ばれるタンパク質が重要であることを示しました。
イヌの血管肉腫はヒトの血管肉腫と共通点が多いとされています。獣医療と人医療をつなぐOneHealthの観点からも、本研究成果は両者における血管肉腫の病態理解と治療法開発に寄与することが期待されます。
本研究は科学研究費補助金に加え、北海道大学クラウドファンディング及び北大フロンティア基金を通じた支援により実施されました。
なお、本研究成果は、2026年2月12日(木)公開のFrontiers in Veterinary Science誌にオンライン掲載されました。
【背景】
血管肉腫は血管内皮細胞由来の悪性腫瘍で、犬に多く発生します。進行が速く転移もしやすいことから、効果的な治療法の開発が求められてきました。しかし、基礎研究に使えるモデルが限られており、樹立した直後の培養細胞株や、患者腫瘍を免疫不全マウスに移植して樹立する患者腫瘍由来異種移植モデル(PDXモデル)などの、腫瘍本来の性質を保っているとされるモデルが限られていました。
一般的に腫瘍の内部では血流が不均一なため、糖(グルコース)が乏しい領域が生じることがあります。腫瘍細胞はこうした環境下でも生き延びるために、代謝や遺伝子の発現を調節します。近年、グルコース代謝で生じる乳酸に由来する目印がタンパク質に付く「リジンラクチル化」が注目されており、特に遺伝子発現に関わるヒストン*7というタンパク質に生じるリジンラクチル化について研究が進められています。しかし、多くは糖が多い(乳酸が多い)条件での役割が調べられていて、糖が乏しい(乳酸が少ない)環境での働きは十分に分かっていませんでした。
本研究では、血管肉腫の基礎研究を加速させるため、(1)血管肉腫の患者犬の腫瘍組織から新たな培養細胞株とPDXモデルを樹立すること、(2)糖が乏しい環境でのリジンラクチル化の役割を明らかにすることを目的とし、研究を実施しました。
【研究手法】
(1) 患者由来モデルの樹立
北海道大学附属動物病院で摘出された血管肉腫の腫瘍組織を研究に使用しました。培養細胞株は、細断した腫瘍組織を培養ディッシュに直接播種し、培養を実施しました。PDXモデルについては、腫瘍組織片を免疫不全マウスの皮下に移植し、マウス間で最低3回の継代*8を実施しました。樹立した細胞株とPDXモデルについて、血管内皮細胞の指標となる遺伝子とタンパク質の発現、形態学的特徴、STR解析*9を実施し、患者犬由来の血管肉腫であることを確認しました。
(2) グルコース欠乏下のリジンラクチル化の役割の解析
通常条件とグルコース欠乏条件で細胞株を培養し、リジンラクチル化の量を調べました。また、リジンラクチル化がゲノム*10上のどこに集まるか(遺伝子発現のスイッチ付近など)を解析し、網羅的遺伝子発現解析と組み合わせて遺伝子発現との関係を調べました。さらに、PDXモデルを用いた一細胞遺伝子発現解析*11と、患者腫瘍を用いた空間遺伝子発現解析*12により、生体内でもストレス応答状態の腫瘍細胞が存在し得るかを調べました。また、グルコース欠乏時に血管肉腫細胞が他のどの栄養素を利用しているかを、代謝解析により評価しました。
(3) 腫瘍組織での検証
血管肉腫患者犬の腫瘍組織を用いて、腫瘍内でのヒストンのリジンラクチル化の分布(強い領域/弱い領域)を調べ、免疫細胞との関連を調べました。
【研究成果】
(1) 患者由来モデルの樹立
イヌ血管肉腫の新規培養細胞株二株と、PDXモデル三株を樹立しました(図1)。培養細胞株は継代回数の少ない段階で保存し、長期培養による性質変化を抑えた状態で実験に使用できるようにしました。樹立した細胞株とPDXモデルは血管肉腫の特徴を有し、患者犬由来のモデルであることを確認しました。
(2) グルコース欠乏下のリジンラクチル化の役割の解析
培養細胞をグルコース欠乏条件で培養すると、リジンラクチル化の全体量が減少しました。一方で、リジンラクチル化は遺伝子の「スイッチ付近」(転写開始点付近)へ集積し(図2)、特にストレス応答、免疫や代謝に関わる遺伝子群の発現変化と関連が示されました。さらに、ATF4と呼ばれるタンパク質を欠損させると、一部のストレス応答遺伝子の発現が弱まることから、ATF4がこの応答に重要であることが示されました。加えて、PDXモデルの一細胞遺伝子発現解析及び患者空間遺伝子発現解析により、生体内でもストレス応答遺伝子を発現する細胞集団が局所的に集まって存在する可能性が示唆されました。また、代謝においては、グルコース欠乏によりグルコース以外の経路への依存が高まり、特にグルタミン利用の増加や、グルタミンを材料にアスパラギンを合成する経路が活性化することが示され、グルコースが不足する環境での生存に関わる可能性が示唆されました。
(3) 腫瘍組織での検証
患者犬の腫瘍組織では、ヒストンのリジンラクチル化の状態が一様ではなく、ばらつきが見られました。特にヒストンのリジンラクチル化が少ない領域(グルコースが少ないと考えられる領域)では、腫瘍に有利に働く免疫細胞(M2マクロファージ*13)が多い傾向が見られ、ストレス環境下で腫瘍細胞の生存を助けている可能性が示唆されました。
【今後への期待】
本研究で樹立した継代回数の少ない培養細胞株とPDXモデルは、血管肉腫の病態解明に加え、薬剤候補の評価や治療標的探索に活用できる研究基盤になると期待されます。また、血管肉腫細胞が糖(グルコース)の乏しい環境で生き延びる際に、リジンラクチル化のゲノム上での分布が変化し、ATF4を介したストレス応答と関連するという知見は、腫瘍の環境適応を弱める介入点の候補になります。今後は、PDXモデルや患者腫瘍でも同様の変化がどの程度一般的に見られるか、さらに検証を進めます。
また、腫瘍組織でリジンラクチル化が一様ではないこと、その程度が低い領域(栄養環境が厳しい可能性のある領域)でM2マクロファージが多い傾向が示唆されたことは、腫瘍微小環境を含めた治療戦略の重要性を示しています。代謝の変化と免疫環境の関係を統合的に解析することで、血管肉腫の新たな治療法の発見につながる可能性があります。
さらに、イヌの血管肉腫はヒトの血管肉腫と共通点が多いとされます。今回樹立したイヌ血管肉腫の患者由来モデルから得られた知見は、獣医療と人医療をつなぐOne Healthの観点からも、本研究成果は両者における血管肉腫の病態理解と治療法開発に寄与することが期待されます。
【謝辞】
本研究はJSPS科研費(JP22K06020、JP23KJ0056)、北海道大学大学院獣医学研究院臨床研究推進研究費の助成を受けたものです。また、北海道大学クラウドファンディング「血管肉腫を治療可能にするために、基礎研究を加速させる」及び北大フロンティア基金を通じて、多くの方々からご支援いただきました。ご協力いただいたすべての皆様に心より御礼申し上げます。
■論文情報
論文名:Lysine lactylation regulates ATF4-mediated stress responses under glucoses tarvation in canine hemangiosarcoma
(イヌ血管肉腫では、グルコース欠乏下でリジンラクチル化がATF4介在性ストレス応答を制御する)
著者名:鈴木玲海(1)、平島一輝(2,3,4)、山﨑淳平(5,6)、山﨑昌哉(7)、木之下怜平(6,8)、金尚昊(6,8,9)、細谷謙次(6,8,9)、岡松優子(10)、佐々木道仁(11)、Peng Xu(12)、Qin Yan(12)、木村享史(13)、青島圭佑(6,13)
北海道大学大学院 獣医学院
岐阜大学 大学院連合創薬医療情報研究科
岐阜大学 高等研究院
岐阜大学One Medicine創薬シーズ開発・育成研究教育拠点
北海道大学附属動物病院 トランスレーショナルリサーチ推進室
北海道大学One Healthリサーチセンター 腫瘍ユニット
がん研究会 がん研究所 発がん研究部
北海道大学附属動物病院
北海道大学大学院 獣医学研究院 先端獣医療学教室
北海道大学大学院獣医学研究院生化学教室
人獣共通感染症国際共同研究所 分子病態診断部門
イェール大学
北海道大学大学院 獣医学研究院 比較病理学教室
雑誌名:Frontiers in Veterinary Science(獣医学の専門誌)
DOI:10.3389/fvets.2026.1734339
公表日:2026年2月12日(木)(オンライン公開)
■画像解説
上図:図1. 血管肉腫研究モデルの樹立
下図:図2. リジンラクチル化の新たな働き
【用語解説】
*1 培養細胞株
腫瘍細胞を培養して、実験に繰り返し使えるようにした細胞。
*2 患者腫瘍由来異種移植モデル(PDXモデル)
患者腫瘍を免疫不全マウスに直接移植して樹立する研究モデル。腫瘍の特徴を保ちやすいとされる。
*3 リジンラクチル化
タンパク質を構成するアミノ酸の一つであるリジンに、乳酸由来の化学修飾が生じる現象。遺伝子の働き方に影響する可能性がある。
*4 乳酸
糖(グルコース)代謝で生じる物質。腫瘍では多く作られることがある。
*5 遺伝子発現
遺伝子が「働いている状態」のこと。
*6 ATF4
細胞が栄養不足などのストレスを受けたときに働く、遺伝子の発現を調節するタンパク質。
*7 ヒストン
DNAをまとめて折りたたむための核内タンパク質。遺伝子の働き方に関わる。
*8 継代
培養細胞やPDXモデルを別の培養ディッシュやマウスへ移して育て続けること。これを何回繰り返したかが継代回数。
*9 STR解析
DNAの一部(繰り返し配列)を調べる検査。個体識別を行うことができる。
*10 ゲノム
その生物が持つDNA情報全体。
*11 一細胞遺伝子発現解析
細胞を一個ずつ解析し、細胞ごとの遺伝子発現の違いを調べる方法。
*12 空間遺伝子発現解析
組織のどの場所でどの遺伝子が働いているかを調べる方法。
*13 M2マクロファージ
炎症を抑えたり組織修復を助ける性質を持つマクロファージ。











