寄稿者：大阪公立大学
《ニュース概要》
■ポイント
・犬の塊状肝細胞癌(※1)(HCC)と正常肝(NL)のRNAシーケンス(※2)を実施したところ、NLに比べてHCCでは119種類の遺伝子で発現量が低下、141種類の遺伝子で発現量が上昇。
・遺伝子PRC1、CDCA3、CDC20は犬HCCの発症原因である可能性。
・犬HCCにおいて制御性T細胞(Treg)(※3)の発現量の低下が明らかになり、Tregが腫瘍組織に入り込むことが病気の進み方や治療結果に影響を及ぼす可能性が示された。
■概要
犬とヒトでは塊状肝細胞癌(HCC)の発症の仕組みや予後が異なるため、犬HCCにおける遺伝子異常はヒトとは違う可能性があります。ヒトHCCでは、さまざまな遺伝子や免疫細胞が発癌や予後に影響を及ぼしていることが報告されていますが、犬HCCについてはまだ明らかになっていません。
大阪公立大学大学院獣医学研究科の田中利幸 准教授らの研究グループは、14頭の犬 HCCと4頭の犬正常肝(NL)のRNAシーケンスを実施したところ、NLに比べてHCCでは 119種類の遺伝子で発現量が低下、141種類の遺伝子で発現量が上昇していることが分かりました。特に発現量が上昇した遺伝子PRC1、CDCA3、CDC20は犬HCCの発症原因であることが示唆されました。また、犬HCCにおいてTregの発現量の低下が明らかになり、Tregが腫瘍組織に入り込むことが病気の進み方や治療結果に影響を及ぼす可能性が示されました。本研究で特定した遺伝子をターゲットにして研究を進めることで、新たな治療法に結び付くことが期待されます。
本研究成果は、2025年11月10日に国際学術誌「BMC Veterinary Research」にオンライン掲載されました。
■研究者からのコメント
田中利幸 准教授
犬とヒトの肝細胞癌の挙動はなぜ違うのか？今回の結果で全てが分かったわけではありませんが、少しはその手がかりが得られたかもしれません。今後は、再発や転移を示す犬HCCにおいても、発現が異常な遺伝子を特定する研究などを進めたいと思います。
■研究の背景
犬の塊状肝細胞癌(HCC)は無症状のため、巨大腫瘤になって初めて発見されることが多く、外科的摘出により長期生存が期待できます。術後再発率は0%~27%で、再発時には16%の症例で転移が認められます。一方ヒトHCCは一般的に進行が速く、5年生存率は20%未満で再発率は最大88%に達し、予後はよくありません。また、犬とは異なり肝硬変がHCCの発生リスク因子とされており、多段階発癌(※4)の過程でさまざまな遺伝子異常が起こるとされています。ヒトHCCではさまざまな遺伝子や免疫細胞が発癌に関与し、予後に影響を及ぼしていることが明らかになっています。しかし、犬HCCの発癌や予後に関与する遺伝子については、いまだ明らかになっていません。
■研究の内容
本研究では、犬HCCの遺伝子を調べて、ヒトHCCとの違いを見るために、14頭の犬HCCと4頭の犬正常肝(NL)からRNAを抽出し、RNAシーケンスを行いました。NLと比較して、HCCにおいて119遺伝子で発現量低下、141遺伝子で発現量上昇を認めました。主な遺伝子は細胞周期および分裂に関与しており、特に発現量上昇を認めた PRC1、CDCA3、CDC20は犬HCCにおける発癌遺伝子候補として同定されました。PRC1、CDCA3、CDC20はヒトHCCにおいても発現量が上昇しており、発癌遺伝子として作用することが報告されています。今回、犬HCCにおいて初めてこれら遺伝子の発現量が上昇していることが分かり、肝硬変の関与がない犬HCCにおいて、肝硬変の関与のあるヒトHCCと共通する遺伝子異常が存在することが分かりました。
さらに、免疫細胞組成はCIBERSORT(※5)を用いて評価し、犬HCCにおいてTregの発現量が低下していることが明らかとなりました。ヒトHCCではTreg浸潤により癌の進行が進むとされています。そのため、犬HCCにおいてTregの浸潤の有無が予後に影響を及ぼしている可能性が示されました。
■期待される効果・今後の展開
本研究で明らかになったPRC1、CDCA3、CDC20はヒトのさまざまな癌の治療に対するターゲット遺伝子として研究されています。現在、犬HCCは手術不適応であった場合の有効な治療法がありません。過去に本研究グループが報告した犬HCCにおける分子標的薬候補遺伝子に加え、今回のPRC1、CDCA3、CDC20は治療のターゲット遺伝子になる可能性があります。これらの遺伝子に注目することで、手術不適応症例における新たな治療法が確立されると思われます。今後は再発・転移を示す犬 HCCにおいても、発現異常遺伝子を明らかにすることで、Tregの予後への関与について更に追求していきたいと考えています。
■資金情報
本研究はJSPS科研費 JP22K05991の助成を受けて実施しました。
■用語解説
※1 塊状肝細胞癌
犬の肝細胞癌はその形状から塊状、多結節型、びまん性に分類される。犬の肝細胞癌では塊状肝細胞癌が最も多く認められる。
※2 RNAシーケンス
次世代シーケンサー(NGS)を使用してRNAを読み取り、その配列情報を網羅的に解析する技術。この解析によって、どの遺伝子がどの程度活性化されているのかを把握できる。
※3 制御性T細胞(Treg)
免疫抑制細胞の一種で、癌ではTregが増加することで、癌に対する正常な免疫応答が抑制されて、癌が増殖しやすい環境になる。
※4 多段階発癌
肝細胞が肝炎ウイルスや肝硬変などの影響を受けてさまざまな遺伝子変化が生じ、徐々に悪性化していく過程を指す。ヒト肝細胞癌における発癌機序として詳しく研究されている。
※5 CIBERSORT
組織から抽出した RNA シーケンスデータから、組織中の細胞の割合を推定するためのバイオインフォマティクスツール。
■掲載誌情報
【発表雑誌】
BMC Veterinary Research
【論文名】
PRC1, CDCA3, and CDC20 are upregulated and Treg numbers aredecreased in canine massive hepatocellular carcinoma
【著者】
Toshiyuki Tanaka, Tomoki Motegi, Yasumasa Iimori, Hideo Akiyoshi
【掲載 URL】
https://doi.org/10.1186/s12917-025-05103-1