寄稿者:東京大学
《ニュース概要》
■発表のポイント
・人工知能(AI)を活用して、動画からマウスの痛みを自動的に判定する技術を開発した。
・・異なる刺激による痛みを正確に識別し、鎮痛薬の効果も数値化することに成功した。
人の主観に頼らない再現性の高い痛み評価法を実現し、動物福祉や創薬の革新に貢献できる。
■概要
東京大学大学院農学生命科学研究科の小林幸司特任講師・村田幸久准教授の研究グループは、人工知能(AI)の技術を応用し、マウスの「顔の表情」から痛みを自動で判定できる新しい解析手法を開発しました。これまでの動物実験では、痛みの有無を研究者が目視で観察して判断してきました。しかし、動物の顔の微妙な変化を人間の目で正確に見分けることは難しく、観察者の主観や経験により結果が異なることが課題でした。本研究では、AIの一種である畳み込みニューラルネットワーク(注1)を活用し、マウスの表情画像をもとに客観的かつ自動的に痛みを判定するアルゴリズムを構築しました。本成果は、痛みの仕組解明や創薬研究の信頼性を飛躍的に高めるだけでなく、動物福祉の観点からも大きな前進と言えます。
■発表内容
「痛み」は高等生物に共通する防御反応であり、身体の損傷や炎症が起きていることを知らせる重要な信号です。しかし、マウスやラットなどの実験動物は言葉で痛みを訴えることができないため、研究者は動きや顔つき、毛並みの変化などを観察して間接的に評価してきました。中でも、2010年に報告された「マウス・グリマス・スケール(Mouse Grimace Scale)」は、顔のしかめ方から痛みをスコア化する方法として広く使われています。しかし、このスコア化には観察者の熟練が必要であり、評価者間のばらつきが避けられないこと、また長時間の観察には適さないという課題がありました。
研究チームは、BALB/c系統マウスの表情画像約54万枚を用い、AIモデルを学習させました。酢酸を腹腔内に注射したマウス(痛み状態)と、処置前のマウス(非痛み状態)の顔画像を学習させることで、AIが「痛み」と「非痛み」を識別する特徴を自ら抽出するよう設計しました。AIモデルは、訓練に用いなかったデータでも高い精度を発揮し、痛み刺激の濃度依存的変化を正確に予測しました。さらに、鎮痛薬ジクロフェナクを投与した際には、AIモデルが痛みの軽減を自動的に検出し、それを数値化しました。このことから、AIは「顔のわずかな変化」から薬の効果までも読み取れることが示されました。
さらに、AIモデルは、唐辛子の成分であるカプサイシン、カルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP(注2))といった酢酸とは異なる刺激に対して生じる疼痛についても正確に識別しました。つまりAIは、異なる種類の痛みでも共通する「表情」を学習していることが分かりました。
研究チームは、Grad-CAM(注3)という可視化技術を用いて、AIが痛み判定時に注目している顔の領域を解析しました。その結果、AIは「痛みなし」状態では耳や頬、口に注目し、「痛みあり」状態では額や頭部に焦点を当てていることが明らかになりました。この発見は、AIが従来の人間の観察よりも広範な表情変化を利用していることを示しており、痛みの「表現」に関する新たな科学的知見をもたらします。なお、本研究は、東京大学大学院農学生命科学研究科動物実験委員会の審査および、研究科長の承認を経て実施されました。
■画像解説
AIが注目した顔領域の可視化
Grad-CAM解析によってAIの注視領域を可視化。
「痛みなし」では耳・頬・口、「痛みあり」では額・目・頭部に高い強度がみられた。
■社会的意義と今後の展開
この技術は、痛みの評価を人間の主観からAIによる客観的データ分析へと転換するものであり、動物実験の研究効率化と倫理性向上の両立を可能にします。特に、
創薬・毒性試験における鎮痛薬評価の標準化、
長期的な情動解析(不快・恐怖・快感など)の基盤技術、
動物福祉(3R:Replacement, Reduction, Refinement)の推進、
への応用が期待されます。
〇関連情報:
1.「マウスの「かゆみ」をAIで“見える化”」
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20250924-1.html
2.「深層学習を用いたマウス「立ち上がり行動」の自動解析技術を開発」
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20250619-2.html
3.「デュシェンヌ型筋ジストロフィーのモデルマウスにおける運動機能障害を解明」
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20251001-2.html
4.東京大学大学院農学生命科学研究科 放射線動物科学研究室・獣医薬理学研究室
https://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/houshasen/
5.東京大学大学院農学生命科学研究科 食と動物のシステム科学研究室
https://square.umin.ac.jp/food-animal/index.html
■発表者・研究者等情報
東京大学 大学院農学生命科学研究科
小林 幸司 特任講師
坂本 直観 博士課程
宮崎 優介 博士課程
村田 幸久 准教授
北海道大学 大学院情報科学研究院
山本 雅人 教授
■論文情報
雑誌名:PNAS Nexus
題 名:Automated pain assessment based on facial expression of free-moving mice
著者名:Koji Kobayashi, Naoaki Sakamoto, Yusuke Miyazaki, Masahito Yamamoto, Takahisa Murata*
DOI: 10.1093/pnasnexus/pgaf352
■研究助成
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業(25H00430, 20H05678)、JST A-STEP(JPMJTR22UF)の支援により実施されました。
■用語解説
(注1):画像認識に優れた性能を発揮するニューラルネットワークの手法。動物の行動やヒトの表情の自動分類に用いられる。
(注2)CGRP:Calcitonin Gene-Related Peptide(カルシトニン遺伝子関連ペプチド)。痛みの伝達や片頭痛の発症に関与する神経ペプチド。
(注3)Grad-CAM:AIが判断に利用した画像の領域を可視化する手法。AIの「着目点」を人間が理解できるようにする技術。











