寄稿者:東京大学 / 科学技術振興機構
《ニュース概要》
■発表のポイント
・肝切除手術後に高頻度で発生し、感染症や肝不全の原因となる「胆汁漏(たんじゅうろう)」を防ぐための新しい合成ハイドロゲルシーリング剤を開発しました。
・本材料は、独自に設計した「時間差二段階反応」を利用しており、塗布直後に瞬時に硬化して出血や胆汁の流出を防ぎ、その後、遅れて進行する反応によって組織と強固に接着します。
・ラット肝切除モデルを用いた実験では、医療現場で実際に使用されている止血剤と同等以上の止血性および胆汁漏防止効果が確認されました。術後炎症の抑制効果も確認され、将来的に完全人工合成型の外科用シーリング剤としての活用が期待されます。
■概要
東京大学大学院工学系研究科の石川 昇平 助教、酒井 崇匡 教授らの研究グループは、医学部附属病院血管外科の保科 克行 病院教授、大学院医学系研究科の松原 和英 大学院生(研究当時)らと共同で、肝切除後に生じる重篤な合併症「胆汁漏」(注 1)を効果的に防止する新しい合成ハイドロゲルシーリング剤を開発しました。胆汁漏は、手術関連死につながることもある深刻な合併症です。既存の生体材料由来のシーリング剤や合成接着剤では十分な防止効果が得られず、新しい材料の開発が求められていました。本研究グループが開発したシーリング剤では、ポリエチレングリコール(PEG)(注 2)を基材とし、独自の「時間差二段階反応」を採用しています。第一段階で瞬時にゲル化し出血や胆汁漏出を物理的に遮断した後、遅れて進行する第二段階の反応によりゲルと生体組織表面とを化学的に結合させることで、強固で長時間安定した接着を実現しました。ラット肝切除モデルを用いた実験では、本ハイドロゲルが 1 分以内に止血を達成し、既存のシーリング剤では防げなかった胆汁漏を効率的に防止することに成功しました。さらに、生体内での安全性評価でも術後炎症や肝障害はほとんど認められませんでした。これらの成果は、今後の臨床試験を経て、肝切除や移植手術などにおける胆汁漏防止剤として実用化される可能性を示しています。
本研究成果は、2025 年 11 月 3 日(西ヨーロッパ時間)に「Advanced Healthcare Materials」のオンライン版で公開されました。
■発表内容
〈研究の背景〉
肝臓がんや胆管がんなどの治療として行われる肝切除手術では、手術後に胆汁が体内に漏れ出す「胆汁漏」が重大な合併症の 1 つとして問題視されています。肝臓にメスを入れると出血しますが同時に胆汁という消化液が漏れ出します。手術中、電気メスでの止血や、針と糸による縫合で胆汁を封止するのですが、術後に胆汁の漏出が持続することがしばしば起こります。漏れ出す胆汁の量が多いと腹膜炎や敗血症などの重篤な感染症を引き起こし、患者さんの命に関わることもあります。そのため、胆汁漏の防止は外科手術における重要な課題の 1 つです。胆汁には血液のような自然な凝固機構が存在しないため、胆汁漏を防ぐためには、積極的に胆汁自体を固化する機構が必要となります。しかし、既存品では胆汁漏を十分に防止することが困難な状況です。また、既存品のシアノアクリレート系のシーリング剤は速やかに硬化し高い接着力を示すものの、肝組織に対し強い炎症反応を起こすことが知られており、安全性の観点から臨床応用が制限されています。これらの理由から、「胆汁漏を防止でき、かつ安全性の高い合成高分子材料」の開発が強く求められてきました。
〈研究の内容〉
本研究では、生体適合性が高く、医薬品や化粧品にも利用されているポリエチレングリコール(PEG)を基材とし、その末端にチオール基(SH)、マレイミド基(MA)、および N-ヒドロキシスクシンイミド(NHS)エステル基を導入したテトラ PEG ゲル(注 3)を用いました。この分子設計により、独自の時間差二段階反応を組み込んだ「遅延架橋単一ネットワーク(DelayedCross-linked Single Network: DCSN)」(注 4)を設計しました。第一段階として、SH 基と MA 基の間で高速な化学反応が起こり、塗布後わずか数秒以内にゲルネットワークが形成されます。これにより、手術部位は瞬時に覆われ、出血や胆汁の漏出がただちに物理的に遮断されます。さらに第二段階では、残存する NHS エステル基が、SH 基と結合しゲルに組み込まれるとともに、肝組織表面に存在するリシン残基などのアミノ基と徐々に共有結合を形成します。数分の経過でゲルと組織が強固に接着し、従来の材料では困難だった長時間にわたる安定した胆汁漏の防止効果を発揮します(上図 )。このように、「即時ゲル化による物理的な遮断」と「遅延化学反応による強固な接着」という二段階反応を組み合わせたことが、本材料の特徴です。
ラット部分肝切除モデルを用いた実験では、DCSN ハイドロゲルを切除断端に塗布したすべての例で、1 分以内に止血が達成されました。その後、1 ヶ月にわたる観察において、胆汁漏は一例も発生せず、安定した防止効果が維持されました。一方、比較として用いた既存のシーリング剤であるサージセル®(注 5)やタコシール®(注 6)では漏出が確認され、性能の差が示されました(下図)。さらに、術後 7 日間の病理組織学的評価では、ゲル適用部位において顕著な炎症細胞浸潤や肝細胞壊死は観察されず、組織界面ではゲルとの安定した接着が確認されました。これらの結果から、本材料が従来の生体由来接着剤や人工合成シーリング剤と同等以上の防止性能と高い安全性を併せ持つ、臨床的に新しい解決策となり得ることが実証されました。
〈今後の展望〉
本研究で導入した「時間差二段階反応」は、外科用シーリング剤の設計に新たな視点を与えるものです。即時的なゲル化と遅延的な組織接着を組み合わせるこの原理により、従来の単一反応型材料では困難であった「術直後の体液漏出の遮断」と「長期的な安定接着」の両立が可能となりました。今後は、胆汁漏防止を出発点に、膵液漏、肺切除後の気漏、血管損傷部位の止血など、体液やガス漏出を伴う外科的課題へと展開できると考えられます。さらに、PEG を基盤とした分子設計の柔軟性を活かし、末端官能基の種類や反応速度を調整することで、手術環境に応じたゲル化時間や接着強度を精密に設計できる可能性もあります。これにより、止血・防止用途にとどまらず、ドラッグデリバリーや再生医療用足場といった分野への発展も期待されます。
なお、本研究は、東京大学における動物実験審査委員会の承認のもと、東京大学が定めた実験動物の取り扱いに関する指針(承認番号:A2023E026)に則り実施されました。
〇関連のプレスリリース:
①「99%が水からできた固体なのに、水となじみにくい「ゲル・ゲル相分離材料」を発明 ―その場で生体組織を再生することができる革新的な足場材料の可能性―」(2023/10/31)
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/pr2023-10-31-001
②「コロナワクチンや化粧品にも使用される ポリエチレングリコールの体内動態解明に貢献―将来の医療や製品開発に革新的なインパクトをもたらす可能性―」(2023/4/6)
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/pr2023-04-06-001
③「体液に触れると瞬時に固化する合成ハイドロゲルで速やかな止血を実現 ―安全かつ高性能な局所止血材や体液漏出防止材の開発に期待―」(2022/3/7)
https://www.h.u-tokyo.ac.jp/press/20220307.html
④「世界で初めて長期埋め込み可能な人工硝子体を開発」(2017/3/9)
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/foe/press/setnws_20170310113317767440324386.html
■発表者・研究者等情報
東京大学
・大学院工学系研究科
石川 昇平 助教
酒井 崇匡 教授
・大学院医学系研究科
松原 和英 医学博士課程(研究当時)
現:埼玉医科大学総合医療センター保科 克行 准教授
兼:医学部附属病院 血管外科 病院教授
■論文情報
雑誌名:Advanced Healthcare Materials
題 名:Development of a Novel Synthetic Hydrogel Sealant for Effective Prevention of Liver ResectionAssociated Bile Leakage
著者名:Kazuyoshi Matsubara†, Shohei Ishikawa†,*, Hiroyuki Kamata*, Almog Gur, Ayano Fujisawa,Shu Nishida, Katsuyuki Hoshina*, Takamasa Sakai*
(†Contributed Equally *Corresponding Author)
DOI:10.1002/adhm.202503518
URL:https://advanced.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/adhm.202503518
■研究助成
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 ERATO(No.JPMJER2401)、文部科学省データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト事業(No. JPMXP1122714694)、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業 基盤研究 B(No. JP25K03459)、Core-to-Core Program(No. JPJSCCA20230006)、文部科学省革新的先端研究開発支援事業「革新的先端医療技術開発プロジェクト(シーズ A)(No. 25ym0126805j0004)の支援を受けたものです。
■用語解説
(注 1)胆汁漏:肝切除後に胆管から胆汁が漏れ出す合併症。重症化すると腹膜炎や肝不全を引き起こす。
(注 2)ポリエチレングリコール(PEG):医薬品や化粧品にも広く用いられる水溶性の合成高分子。毒性が低く、高い生体適合性を持つ。
(注 3)テトラ PEG ゲル:東京大学大学院工学系研究科 酒井崇匡教授によって開発された高分子ゲル。弾性率や膨潤度など、さまざまなゲル物性を精密に制御できる。細胞足場、組織再生足場、止血剤、人工硝子体など、幅広い医療用途への応用が期待されている。
(注 4)遅延架橋単一ネットワーク(Delayed Cross-linked Single Network: DCSN):速い反応により数秒以内にゲル化して体液による流出を防ぎ、同時に残存した反応基が組織表面と結合することで、時間の経過とともに接着力を高める仕組み。
(注 5)サージセル®:酸化セルロースを主成分とする吸収性止血剤。血液と接触すると酸性環境を形成し、血小板や凝固因子を活性化して止血を助ける。
(注 6)タコシール®:コラーゲンスポンジにヒト由来フィブリン成分をコーティングした止血剤。出血面に貼付するとフィブリンが血液凝固を促進して止血効果を発揮する。
■画像解説
上図:本研究で開発したゲルの概要図
2 液を混合すると、瞬時にゲルネットワークが形成されることで即時固化し、徐々に組織表面と化学結合することで組織と強固に接着する。
下図:漏出確認評価
ゲルを切除断端に塗布した後、サージセル®(注 5)やタコシール®(注 6)では近赤外蛍光色素にて漏出を確認した。











