寄稿者:北海道大学
《ニュース概要》
【ポイント】
・NAD代謝が酸化ストレスを抑制することで、すい管腺がんの進行を促進することを発見。
・GPx4とMEKの同時阻害により、鉄依存性の細胞死を誘導し、すい管腺がんの形成を抑制。
・本手法が、既存治療に抵抗性を示すすい管腺がんに対する新たな治療戦略の候補に。
【概要】
北海道大学遺伝子病制御研究所がん制御学分野の園下将大教授、株式会社フライワークスらの研究グループは、すい臓に発生するがんの大部分を占めるすい管腺がん(PDAC)の新たな代謝的脆弱性としてニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD)合成経路を同定しました。
さらに、NAD合成経路の下流で機能するGPx4(*1)が、PDACの治療標的であることを見出しました。特に、GPx4阻害剤ML210とMEK阻害剤trametinibを併用することで、ヒトPDAC細胞の細胞死(フェロトーシス(*2))を誘導してPDAC形成を抑制できることを発見し、この組み合わせ療法がPDACに対する有望な治療戦略となる可能性を示しました。
PDACは、すい臓がんの一種で、5年生存率がわずか10%という極めて予後不良ながんとして知られています。また、治療法の選択肢が極めて限られている代表的な難治がんの一つであり、高齢化の進行や生活習慣の変化などにより罹患者数の増加が予想されています。そのため、新たな治療標的の同定や治療薬の開発は、喫緊の福祉課題とされています。
研究グループはこれまでの研究成果から、治療の鍵は、体内の代謝やエネルギー産生などに必要不可欠なビタミンB群にあると考えました。ビタミンB群は食物に含まれる身近な栄養素ですが、これらがPDACの発生や進展において果たす役割は十分に解明されていません。
そこで研究グループは、ヒトPDACの遺伝子変異パターンを模倣したモデルショウジョウバエを用いて、それらの代謝を抑制した際の影響を解析しました。その結果、特にビタミンB3の代謝経路が駆動するNAD合成経路を阻害することで、このモデルハエの生存性が上昇すること、そして活性酸素種(ROS(*3))を除去する活性を有するGPx4がこの経路における重要なエフェクターであることが分かりました。
さらに、GPx4及びMEKの同時阻害は、ヒトPDAC細胞を移植したモデルマウスにおいて、ROS蓄積を介したフェロトーシスを誘導し、腫瘍の成長を抑制しました。本研究成果は、フェロトーシス誘導を介したPDACの新規治療法の開発に貢献すると期待されます。
なお、本研究成果は、2025年5月30日(金)公開のMolecular Therapy誌にオンライン掲載されました。
【背景】
すい臓がんの一種である、すい管腺がん(PDAC)は、5年生存率がわずか10%という極めて予後不良ながんであり、診断時点で多くの患者が既に手術不能な進行期にあります。加えて、化学療法や放射線療法の効果も限定的であるため、新たな治療法の開発が強く求められています。
研究グループは近年、PDAC患者の中でも最も予後が悪い患者群が有する四つの遺伝子変異(がん遺伝子KRASの活性化とがん抑制遺伝子TP53・CDKN2A・SMAD4の不活性化)を再現した「4-hitモデルショウジョウバエ(以下、4-hitハエ)」を確立しました。このモデルを用いてキナーゼの網羅的なスクリーニングを実施した結果、MEK、AURKB、GSK3といったPDACの新規治療標的を同定することに成功しました(関連するプレスリリース参照)。
この過程で、リボフラビン(ビタミンB2)をリン酸化する酵素であるリボフラビンキナーゼ(RFK)も、有望な治療標的候補として浮上しました。リボフラビンは、フラボタンパク質の補酵素であるFMNやFADの前駆体であり、細胞内の酸化還元反応や抗酸化機構に不可欠なビタミンです。
RFKやフラボタンパク質は、ナイアシン(ビタミンB3)、葉酸(ビタミンB9)、ピリドキシン(ビタミンB6)など他のビタミン代謝とも密接に関わっており、がんをはじめとする様々な疾患との関連性が注目されています。
しかし、これらのビタミン代謝がPDACの形成において果たす役割については、これまでほとんど明らかになっておらず、本研究はその重要性を解明することを目的としました。
【研究手法】
本研究ではまず、4-hitハエを用いた遺伝学的スクリーニングにより、ビタミン代謝経路に関連する新たな治療標的の探索を行いました。そして、このハエやPDACモデルマウスへの薬物投与試験を実施するとともに、代謝解析や免疫染色法によりその作用機序を解析しました。併せて、ヒトPDAC細胞やPDAC患者検体のシングルセルRNAシーケンスデータの解析を実施しました。
【研究成果】
本研究では、PDACの新規治療標的を同定すべく、4-hitハエを用いてビタミン代謝経路に関わる遺伝子の機能を網羅的に探索しました。その結果、機能を阻害することで4-hitハエの致死性を改善する23遺伝子を見出しました。特にビタミンB3の代謝経路が重要であることが示唆され、この経路の下流で機能する遺伝子のうちGPx4を有望な治療標的として同定しました。
そこで、GPx4阻害剤ML210を、当研究グループがPDAC形質を抑制する効果を見出していたMEK阻害薬trametinibと同時に4-hitハエに投与し、このハエの生存率が有意に上昇することを見出しました。ヒトPDAC細胞AsPC-1を用いたスフェロイド培養及び軟寒天アッセイにおいても、この2剤の併用は細胞増殖を強力に抑制する効果を示しました。
次に、これらの発見の臨床的妥当性を検証すべく、ヒトPDAC手術検体のシングルセルRNAシーケンス解析を実施しました。その結果、GPx4の発現ががん上皮細胞で特に高く、加えてこれらの細胞ではグルタチオン代謝やフェロトーシス関連の遺伝子スコアも高いことから、PDACはフェロトーシスへの感受性が高いことが示唆されました。実際に、免疫不全マウスのすい臓にAsPC-1細胞を移植した同所性移植PDACモデルにおいても、ML210とtrametinibの併用治療は、各々の単剤よりも高い腫瘍成長抑制効果を示しました。
さらに、この併用治療により細胞内の活性酸素(ROS)及び鉄の蓄積が生じ、これらの蓄積を阻害することで治療効果が減弱することが分かりました。以上の結果から、GPx4とMEKの同時阻害がフェロトーシスを誘導することにより腫瘍成長抑制効果を発揮することが明らかとなりました(図1)。
【今後への期待】
本研究の成果は、フェロトーシスの誘導を基盤とした新たなPDAC治療戦略の確立に向けた、重要な第一歩となるものです。今後、よりヒトに近い形で非臨床試験を行うべく、他の動物モデルを使用した解析などを推進することで、既存の治療法に対して高い抵抗性を示してきたPDACの克服に向けて、新たな治療の選択肢と希望をもたらすことにつながると期待されます。
【関連するプレスリリース】
北海道大学プレスリリース「世界初!ショウジョウバエを用いて膵がん治療標的を発見~膵がんの新規治療薬開発への貢献に期待~」
発表日:2023年6月29日(木)
URL: https://www.hokudai.ac.jp/news/2023/06/post-1253.html
【謝辞】
本研究は、JSPS科研費(JP20H03524、JP20K07558、JP23H02759、JP24K17810)、公益財団法人武田科学振興財団、公益財団法人寿原記念財団、北海道大学部局横断型若手研究助成事業共同研究助成、北海道大学フォトエキサイトニクス研究拠点、北海道大学若手研究者育成事業、北海道大学遺伝子病制御研究所共同利用・共同研究拠点事業の助成を受けて行われました。
【論文情報】
・論文名
Inhibition of NAD-GPx4 axis and MEK triggers ferroptosis to suppress pancreatic ductal adenocarcinoma
(NAD–GPx4シグナルとMEKの同時阻害は、フェロトーシスを誘導してすい管腺がんの形成を抑制する)
・著者名
蒋卉(1)、佐藤悠介(1)、山村凌大(1)、大塩貴子(1)、羅洋(2)、海涵(1)、大塚拓也(1,3)、畑宗一郎(1)、佐藤伶音(1)、平田大賀(1)、大澤毅(6)、合田圭介(1,4,5,7,8,9)、園下将大(1,4,5)
(1: 北海道大学遺伝子病制御研究所、2: 重慶郵電大学大数拠生物智能重点実験室、3: 北海道大学病院、4: 株式会社フライワークス、5: 株式会社フライワークスアメリカ、6: 東京大学先端科学技術研究センター、7: 東京大学大学院理学系研究科、8: 武漢大学工業科学硏究院、9: カリフォルニア大学ロサンゼルス校工学部生体工学科)
・雑誌名
Molecular Therapy(分子標的療法の専門誌)
・DOI
10.1016/j.ymthe.2025.05.037
・公表日
2025年5月30日(金)(オンライン公開)
【用語解説】
*1: GPx4
Glutathione peroxidase 4。細胞内で過酸化脂質を還元する抗酸化酵素。グルタチオン(GSH)と連携して活性酸素から細胞を保護するが、阻害されると脂質過酸化が進み、フェロトーシスを引き起こす。
*2: フェロトーシス
鉄依存性細胞死。ROSと鉄の蓄積によって引き起こされる、非アポトーシス型の細胞死様式。がん細胞に特異的な脆弱性として利用できる可能性があり、近年注目されている。
*3: ROS
Reactive oxygen species、活性酸素種。細胞内の代謝過程やストレス応答時に生成される、反応性の高い酸素分子の総称。過剰なROSはDNAや脂質、タンパク質といった生体分子に損傷を与え、細胞死を引き起こす原因となる。
画像:本研究の概要図
PDAC患者の遺伝子変異パターンを模倣したモデルショウジョウバエである4-hitハエを用いた遺伝学的スクリーニングにより、GPx4とMEKを新規治療標的として同定した。また、GPx4阻害剤ML210とMEK阻害薬trametinibの同時投与は抗腫瘍効果を示した。MEKの阻害は、鉄取り込み関連遺伝子(TFRC、CYBRD1、HMOX1)の発現を誘導し、細胞内の鉄蓄積が促進した。一方、GPx4の阻害は細胞内の抗酸化機構を破綻させた。これらの相乗効果により、ROSの蓄積、脂質酸化の亢進、フェロトーシスの誘導が生じた。