イベルメクチンの母核構造「アグリコン」の全合成に成功 ― 新規抗感染症薬の開発への応用に期待 ―

北里大学大村智記念研究所の千成恒講師、廣瀬友靖教授、砂塚敏明教授らの研究グループは、2015 年のノーベル生理学・医学賞の対象となった熱帯病治療薬「イベルメクチン」の母核構造である「アグリコン※1」の収束的全合成※2に成功しました。
本成果は、複雑な天然物合成における新たな設計指針となり、本基盤技術を活用した次世代の誘導体や新規抗感染症薬の開発への応用が期待されます。
本研究成果は、2026 年 10 月 8 日付で国際科学誌「Nature Communications」にオンライン掲載されました。

研究成果のポイント

  • 複雑な分子構造の南半球部位を精密に構築
    カチオン性パラジウム触媒による環化反応※3を開発し、立体障害を克服して南半球骨格を精密に構築。
  • 目的の環状構造を作る新たな合成戦略
    コハク酸ジエステルを、分子を組み立てるための一時的な補助構造 (テンプレート)として用い、閉環メタセシス(RCM)※4によって 21 員環を経由し、目的の 16 員環へと再構築する「編集戦略」を確立。
  • 合成工程の短縮を実現
    最長直線工程※5 21 工程で全合成を達成し、複雑な天然物の供給可能性を拡大。
  • 新たな医薬品候補の開発への応用に期待
    新しい薬の候補となる「リード化合物」の創製に向けた、汎用性の高い合成基盤の構築。

研究の背景

2015 年のノーベル生理学・医学賞の対象となったイベルメクチンは、微生物が作るエバーメクチンをもとに開発された寄生虫感染症の治療薬です。複雑な立体構造を持ち、化学反応を起こす部分も多いため、その母核構造である「アグリコン」の全合成は長年にわたり挑戦的な課題とされてきました。この「アグリコン」の全合成ができるようになると、

  • 自然界から供給できる天然サンプルを用いた誘導化(半合成)では不可能な構造変換を行える。
  • アグリコンの構造体のみで農薬、動物薬として市販されている化合物もあることから、その詳細な生物活性を調査することで、将来的により供給が容易となる構造を単純化した誘導体探索が可能。

などという利点が期待され、次世代の抗感染症薬をはじめとした医薬、農薬、動物薬の開発へ繋がる可能性が生まれます。これらを踏まえ、研究グループでは収束的な合成戦略に焦点を当てて本研究を開始しました。
収束的な合成では、比較的短い工程を経て調製したそれぞれのフラグメントを連結することで複雑な分子構築を行います。このため、市販の原料から数える工程数が短縮されます。また、その連結法を確立することができれば、様々なフラグメントへと置き換えることで多様な誘導体展開が可能です。
収束的な合成法を確立するために障壁になっていたのは、16 個の原子が輪のようにつながった「16 員環」と呼ばれるマクロラクトン※6構造の構築です。分子の環状構造を作るには、原子同士を適切な位置や向きで結びつける必要がありますが、複雑な分子ではこれが容易ではありません。この問題を解決するために、研究グループは、2005 年のノーベル化学賞の受賞対象となった反応である「メタセシス反応」に着目した合成計画を考案しました。

研究内容と成果

本研究は、比較的安価な p-クレゾールを化学原料に用い、最長直線 21 工程でイベルメクチンの母核構造「アグリコン」を全合成することに成功しました。
まず、パラジウムを含む特殊な触媒(カチオン性パラジウム触媒)による環化反応を開発しました。これにより、立体障害を克服し、南半球骨格の四置換炭素※7を精密に構築しました。この新しい南半球部位の構築法によって、効率的なフラグメント合成を達成しました。
さらに、マクロラクトン構築において、コハク酸ジエステルを一時的な「テンプレート」とする新たな戦略を採用しました。複雑な分子ゆえに、その固有の反応性に起因する不安定性から、直接的な 16 員環の形成は困難を極めました。あえて柔軟な 21 員環を経由して閉環メタセシス(RCM)反応を成功させた後、テンプレートの除去を経て、大きな環状構造を作る化学反応「椎名マクロラクトン化」により 16 員環へ再構築する「編集戦略」を確立し、アグリコンの収束的全合成を達成しました。

今後の展開

本研究で示したカチオン性パラジウム触媒による環化反応や、21 員環経由の「編集戦略」は、イベルメクチン以外の複雑な天然物の合成でも応用可能な知見となり、創薬化学・化学生物学の幅広い領域での展開が期待されます。さらに、今回の収束的な合成経路によって、多様な誘導体合成を通した新たな創薬リード化合物の探索基盤を確立しました。本研究の知見が、画期的な新薬創製へ繋がることが期待されます。

論文情報

掲載誌:

Nature Communications

論文名:

A convergent total synthesis of the ivermectin aglycon through transition metal-mediated and anionic transformations

著者:

Goh Sennari, Ryo Saito, Ryusei Suzuki, Aoi Kimishima, Tomoyasu Hirose, Toshiaki Sunazuka

DOI:

10.1038/s41467-026-78455-3
■文部科学省 科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A)「天然物が織り成す化合物潜在空間が拓く生物活性分子デザイン」(JP24H01789)、日本学術振興会 科研費(JP24K18256、JP20K15962、JP22K06535)、日本医療研究開発機構(AMED)創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業(BINDS、JP25ama121035)、日本薬学会 長井記念薬学研究奨励支援事業、有機合成化学協会 研究企画賞による支援を受けました。

用語解説

※1 アグリコン

配糖体とは主に微生物が生産する二次代謝産物の中で、糖がグリコシド結合により様々な原子団と結合した化合物の総称である。その配糖体から、糖の部分を取り除いた構造のことをアグリコンと呼ぶ。アグリコンは、その化合物の基本的な構造や生物活性を担う重要な部分である。

※2 全合成と収束的合成

全合成とは、天然に存在する複雑な有機化合物を、比較的単純な原料から化学反応を組み合わせて人工的に作り上げること。収束的合成とは、目的とする化合物をいくつかの部分に分け、それぞれを別々に合成した後、最終的に組み合わせる合成方法のこと。最初から順番に組み立てる方法と比べて、合成の効率を高められる場合がある。

※3 環化反応

鎖状につながった分子の中の一部同士を化学反応によって結びつけ、輪のような構造を作る反応のこと。環状構造は医薬品や天然有機化合物に多く見られ、分子の形や性質、生物活性に大きな影響を与える。

※4 閉環メタセシス(Ring Closing Methathesis: RCM)

分子内に存在する二つの炭素–炭素二重結合を、金属触媒の働きによって組み替え、新しい環状構造を作る化学反応のこと。比較的大きな環状構造を効率よく作ることができるため、複雑な天然有機化合物や医薬品候補化合物の合成に広く利用されている。

※5 最長直線工程

目的の化合物を合成するまでに必要な化学反応のうち、最も多くの反応段階を経る経路の工程数のこと。複数の部分を別々に合成して組み合わせる場合、最も長い経路の工程数を数える。合成方法の効率を評価する指標の一つであり、一般的に工程数が少ないほど短期間で目的の化合物を得られる可能性が高い。

※6 マクロラクトン

多数の原子が輪のようにつながった大きな環状構造を持ち、その輪の中にエステル結合と呼ばれる結合を含む化合物のこと。抗生物質をはじめ、さまざまな生物活性を示す天然有機化合物に見られる特徴的な構造である。

※7 四置換炭素

一つの炭素原子に、水素を除く四つの置換基が結合した構造のこと。炭素原子の周囲が混み合った立体的な構造になるため、人工的に作ることが難しい場合が多い。複雑な天然有機化合物の立体構造を形作る重要な要素の一つである。

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